浜松市笠井にある母の実家の蔵を取り壊す際に不要となったものの続編です。
今回は戦争の資料について少しご紹介したいと思います。
・鉄兜
当り前ですが、かなり重たいです。こんなの被って戦ったら首が折れると思いましたが、使い込んだ跡をみると、実際に兵隊さんは被っていたんですね。当時の苦労が伺えます。
鉄兜の前方部分のマークは見たことのないものですが、何か意味があるのでしょうか?
・旧日本軍の帽子
何故か2つ残っていました。約80年以上経っているとは思えないほど状態はいいです。
・兄弟写真
これは我家に残っている数少ない戦争の資料で昭和12年3月の日付がありました。左が祖父で右が祖父の弟になります。両人とも戦争には行っているそうですが、何故か弟だけ軍服ですね。
残念ながらこの帽子や軍服は残っていませんが、出兵時の日の丸の寄せ書きは残っていました。
現在は浜松の分家の方に渡してあるので、ご紹介ができないのが残念です。
ちなみに祖父はボルネオ島で戦ったそうですが、二人とも戦地から無事に帰還しています。
・貴船神社での出陣式
これは、みんなと倶楽部にご提供いただいた昔の写真から抜粋したものになります。
僅か七、八十年前の出来事ですが、この貴船神社でも実際にあった歴史の1ページであることを戦争を知らない私たち世代も語り継いでいかなければなりません。
・現在の様子
戦争のあったことが嘘のような静けさです。
・灯篭に刻まれた名前
出陣式で整列していた方々の名前でしょうか?貴船神社の灯篭には各町ごとに出兵された方の名前が刻まれています。
・磐田市歴史資料館の展示物
資料館には磐田市草崎から神風特攻隊として出撃された山内文夫さんの遺書の現物が展示されています。
・神風特攻隊員の遺書
全文を読んでみると・・・
拝啓
長らくご無沙汰致しました。
御家内御一同様には益々お元気にしてお暮しの由、何よりに存じます。私も至極強健にて、今までは猛訓練をして居りました。
しかし私は、〇特攻隊の一員です。戦局は益々切迫して来た。征く時は今だ。故国日本の為め、天皇陛下の御為めに、故郷の為に、若櫻は、喜んで散ってゆく。
御母さん御父さん今まで、可愛がって戴き、何と御礼の申し様もありません。私の不孝をどうかゆるして下さい。哲兄さん、兄さん、姉さん、おばあさん、今までありがとう御座いました。私が死んでも泣かないでね。ほめて下さい。
私は、艦上爆撃機の搭乗員として、毎日宙返り、横転、反転等、特殊の猛訓練をやってきた。今その腕前を見せる時だ。私は何も云い残すことはないです。ただ父母の有難さで一杯です。御親戚の皆様、隣組の皆様よろしく。
「若櫻 美しく散りて国の為め 錦をば着て故郷に帰る」
兄さんにくれぐれもよろしく、手紙をやってください。
御両親様、皆様
昭和二十年三月二十五日 月 文夫より
以上が原文です。
この磐田市からも特攻隊員は出ています。はかなくも散っていった先人たちの愛国心を思うと、涙が込み上げてきます。
私たちは毎日、当り前の様に生活していますが、今の平和があるのは先人たちのおかげであることを忘れてはなりません。
もうじき76年目の終戦の日を迎えますが、先人に恥じぬ生き方を全うしたいと思いました。
以上、第二次世界大戦のご紹介でした。