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火消しの刺子半纏

冬本番に突入し、いよいよ火災シーズンとなりました。

以前にもご紹介しましたが、火の用心の意味も兼ねて、今年最後のブログ更新は、掛塚の刺子半纏をご紹介して締めたいと思います。

この半纏は私が消防に入ったお祝いに津倉家から頂いたもので、我家の家宝となっています。明治時代に津倉貞三氏が使用していたものだそうです。

1 頭巾
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何やら文字が色々と書いてありますが、私には全く意味が分かりません (-_-;)

2 刺子半纏(前)
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左胸には「す組」の文字が確認できます。

3 刺子半纏(後)
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歌舞伎の図柄でしょうか?

4 手袋・テコ・足袋
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状態は非常に良く新品みたいです(100年以上前のものですが・・・)

5 感謝状(明治35年)
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明治32年に掛塚・白羽で火災があったみたいですね。
我家は、この当時は廻船問屋を営んでいて、寄付できるほど財力があったようですが、今は見る影もありません。まさに栄枯盛衰ですね(-_-;)

6 感謝状(大正2年)
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明治44年にも掛塚で火災があったようです。

以上、我家に残る明治時代の消防関係の資料でした。
来年の津倉邸公開時には「掛塚消防展」を企画できればと考えていますので、その際に刺子半纏を展示したいと思います。

それでは皆様、火の元には十分注意し、良いお年をお迎えください。
~ 火の用心! ~
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2022/12/27 (Tue) 00:00 |郷土史 |コメント(0)

蕎麦切りヤルダ

旧掛塚郵便局を活用して令和4年11月7日にオープンした「蕎麦切りヤルダ」さんへ家族で行ってきました。

・外観
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・昭和10年の建造当時
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内装
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もり
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ザルそば(900円)とエビ2尾の天ぷら(500円)を頂きました。10割そばで素材の味が生かされておりとても美味しかったです。エビも身がしっかりしていて出来立ては格別の美味しさですね!

営業時間は
昼:11:30~14:00
夜:18:00~21:00(金・土・日のみ営業)
定休日:毎週火曜と毎月第1、第3水曜日

お店の住所は静岡県磐田市白羽29-2
駐車場はお店の南側と西側に4台ずつ停めれます。
皆さんも是非ご賞味あれ(^^♪
2022/11/13 (Sun) 20:00 |郷土史 |コメント(0)

掛塚町消防組

仕事が忙しいためブログは休止していましたが、先日、ある方から消防にまつわる貴重な資料を頂いたので、久しぶりに更新したいと思います。

このKさんは、現在他県にお住まいですが、掛塚で生まれ育ち、郷土をこよなく愛する方です。
実家に帰った際に古着などの整理をしていたところ、半纏と鐘が出てきたということで、消防士の私に声を掛けてくださり託して頂きました。

今後は旧津倉邸の公開時に「掛塚消防展」を企画したいと思いますので、その時は皆さん是非ご覧にきてください!

それでは、頂いたものを順にご紹介していきたいと思います。

1 掛塚町私設消防 本十組役員の半纏
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大紋の「掛」がいい感じでカッコいいですね!

2 掛塚町消防組 第一部消防手の半纏
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大紋に「も」があるということは「元宿」、つまりは本町の半纏ですね。
ということは、各町ごとに消防用の半纏があったのでしょうか?
あるなら我が砂町の半纏も見てみたいです(^^♪

3 掛塚町消防組の帯
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4 鐘
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重厚感があり、とても重たいです。

以上、4点を頂きましたが、どれも歴史を感じる貴重な品ばかりです。特に鐘のカンカンという音色は火災を知らせる臨場感があり、当時の情景が伝わってくるようです。

これらを以前「火事と喧嘩は小江戸の華」で紹介した刺子半纏と一緒に「掛塚消防展」で展示したいと思いますので、その際は改めてご連絡させて頂きます。

・掛塚町消防組の写真
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これは、貴船神社で撮影された掛塚消防組の一枚です。戦前のものと思われますが、詳細な時代は不明です。Kさんから頂いた半纏と腰の柄が似ていますが、写真には全員、袖に線があるので時代が違うのでしょうか?

以上、掛塚消防組についてご紹介させて頂きました。資料を提供してくださったKさんに心から感謝すると共に、大切に保管し後世に残していきたいと思います。

これから空気が乾燥して火災シーズンに入りますので、火の元には十分ご注意ください。
 ~火の用心~!!( 秋の火災予防運動11/9~11/15)
2022/11/09 (Wed) 07:05 |郷土史 |コメント(0)

碇を降ろして・・・

FC2ブログで「南海丸の航海日誌」を始めて1年になります。
超アナログ人間の私は、操作方法もよく分からないうえに、文章力もなく、ブログには不向きなタイプですが、遠州の小江戸と言われた掛塚の魅力を少しでも伝えたい一心でここまでやってきました。

しかし、古い写真もネタが尽きてきた他、仕事も忙しくなってきましたので、南海丸は碇を降ろし、しばらく停泊することにします。

という訳で・・・最後は、威勢よく掛塚湊を行き交った千石船の碇をご紹介して幕を下ろしたいと思います。

・掛塚湊 帆船の碇(高安研太郎氏蔵)
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これは「ふるさと竜洋」に掲載されている写真です。どの船のものかは不明ですが、碇は大人の身長を超えるほどであり、千石船の大きさが推測できますね。

・磐田市歴史資料館に保管されている碇
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歴史資料館の敷地内の片隅に碇が4つ保管されています。保管というより、雨ざらし状態の放置といった方が適切かもしれませんが、一番大きなものは、最初の写真で紹介した高安研太郎氏蔵のものだと思われます。
掛塚廻船問屋の末裔としては、もう少し大切に保管して頂きたいのが本音です。

・津倉家で保管している碇
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この碇は津倉家のものではありませんが、みんなと倶楽部掛塚のメンバーが頂いてきて、一時的に保管してあります。歴史的に貴重な資料なので、これ以上錆びないよう、屋内で保管できればと思います。

掛塚湊は江戸から明治にかけ繁栄しましたが、明治22年に開通した東海道線の影響を受け徐々に衰退し、大正期には湊としての機能をほぼ失っていたと言われています。
あれから100年以上の月日が流れていますが、碇が発見されると当時の繁栄ぶりが垣間見え、掛塚湊の栄枯盛衰を感じます。

・貴船神社に奉納された絵と模型
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残念ながら南海丸の写真や絵は現存していませんが、多分このような船であったと思います。今となっては知る由もありませんが、掛塚湊の歴史は後世に受け継いでいかなければなりません。

・掛塚湊跡
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コロナが終息し、仕事も落ち着いたら、またいつか掛塚湊からブログの世界に出航しようと思います。これまでご愛読いただき、誠にありがとうございました。
2021/08/08 (Sun) 00:00 |郷土史 |コメント(2)

第二次世界大戦

浜松市笠井にある母の実家の蔵を取り壊す際に不要となったものの続編です。
以前の記事はこちらをご覧ください。
今回は戦争の資料について少しご紹介したいと思います。

・鉄兜
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当り前ですが、かなり重たいです。こんなの被って戦ったら首が折れると思いましたが、使い込んだ跡をみると、実際に兵隊さんは被っていたんですね。当時の苦労が伺えます。

鉄兜の前方部分のマークは見たことのないものですが、何か意味があるのでしょうか?

・旧日本軍の帽子
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何故か2つ残っていました。約80年以上経っているとは思えないほど状態はいいです。

・兄弟写真
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これは我家に残っている数少ない戦争の資料で昭和12年3月の日付がありました。左が祖父で右が祖父の弟になります。両人とも戦争には行っているそうですが、何故か弟だけ軍服ですね。

残念ながらこの帽子や軍服は残っていませんが、出兵時の日の丸の寄せ書きは残っていました。
現在は浜松の分家の方に渡してあるので、ご紹介ができないのが残念です。

ちなみに祖父はボルネオ島で戦ったそうですが、二人とも戦地から無事に帰還しています。

・貴船神社での出陣式
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これは、みんなと倶楽部にご提供いただいた昔の写真から抜粋したものになります。
僅か七、八十年前の出来事ですが、この貴船神社でも実際にあった歴史の1ページであることを戦争を知らない私たち世代も語り継いでいかなければなりません。

・現在の様子
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戦争のあったことが嘘のような静けさです。

・灯篭に刻まれた名前
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出陣式で整列していた方々の名前でしょうか?貴船神社の灯篭には各町ごとに出兵された方の名前が刻まれています。

・磐田市歴史資料館の展示物
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資料館には磐田市草崎から神風特攻隊として出撃された山内文夫さんの遺書の現物が展示されています。

・神風特攻隊員の遺書
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全文を読んでみると・・・

拝啓
長らくご無沙汰致しました。
御家内御一同様には益々お元気にしてお暮しの由、何よりに存じます。私も至極強健にて、今までは猛訓練をして居りました。

しかし私は、〇特攻隊の一員です。戦局は益々切迫して来た。征く時は今だ。故国日本の為め、天皇陛下の御為めに、故郷の為に、若櫻は、喜んで散ってゆく。

御母さん御父さん今まで、可愛がって戴き、何と御礼の申し様もありません。私の不孝をどうかゆるして下さい。哲兄さん、兄さん、姉さん、おばあさん、今までありがとう御座いました。私が死んでも泣かないでね。ほめて下さい。

私は、艦上爆撃機の搭乗員として、毎日宙返り、横転、反転等、特殊の猛訓練をやってきた。今その腕前を見せる時だ。私は何も云い残すことはないです。ただ父母の有難さで一杯です。御親戚の皆様、隣組の皆様よろしく。

「若櫻 美しく散りて国の為め 錦をば着て故郷に帰る」

兄さんにくれぐれもよろしく、手紙をやってください。
御両親様、皆様
昭和二十年三月二十五日 月 文夫より

以上が原文です。

この磐田市からも特攻隊員は出ています。はかなくも散っていった先人たちの愛国心を思うと、涙が込み上げてきます。
私たちは毎日、当り前の様に生活していますが、今の平和があるのは先人たちのおかげであることを忘れてはなりません。
もうじき76年目の終戦の日を迎えますが、先人に恥じぬ生き方を全うしたいと思いました。

以上、第二次世界大戦のご紹介でした。
2021/08/01 (Sun) 12:58 |郷土史 |コメント(0)

プロフィール

南海丸

Author:南海丸
江戸から明治にかけ湊町として栄えた掛塚に在住の50代。
廻船問屋を営んでいた頃の船「南海丸」の名を借りてブログの世界へ出航し、掛塚の魅力を発信していきます。

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