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小っちゃな掛塚写真展

今年はコロナ禍により掛塚祭りは神事のみとなってしまいましたが、旧津倉邸では「遠州の小江戸・むかしの写真展」が催され、多くの方にご来場いただきました。

これを機に、各家庭でも押し入れの奥にしまわれている古い写真をご確認頂ければ幸いです。
ちなみに、我が家にも古い写真は多少あるのですが、旅行先のものばかりで、肝心の掛塚の写真がありません(T_T)

例え、写真があっても人物画が多く、掛塚の歴史を紐解く手掛かりには程遠いものばかりです。

そんな折、ヤフーオークションをのぞいていたところ、「戦前写真アルバム 静岡県掛塚橋、掛塚飛行場など天竜川周辺 40枚余」なるものを発見したため、すぐさま落札しました。

今日は、その内の何点かをご紹介したいと思います。

・旧掛塚橋
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木製の掛塚橋の写真はよく見ますね。左側の構造物は流木等が橋桁に当たり壊れるのを防ぐためのものだそうです。
ということは、左側が上流となり、写真は浜松側から掛塚を見ています。

・料金所?
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掛塚橋は昭和45年まで通行料を取る賃取橋でした。
最初、左下に写っている柵が掛塚橋の欄干に見えたため、写真の建物は料金所?と思いましたが、父に聞いたところ、木橋の頃は無料で、現在の掛塚橋になってから賃取橋になったそうです。

ということは、この写真は料金所ではありませんね。どなたか分かる方がいらっしゃったら教えてください。右側の制服を着ている人は何をしているのでしょう?

・浜松の学校へ通学していた父
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これは自宅にあった写真ですが、現在81歳の父が中2の時に撮ったものです。
中2でバイク?と思いきや、これは祖父のものだそうで、父は毎日、木製の掛塚橋を自転車で渡り通学していたそうですよ。

ただ、しょっちゅう木橋が壊れたため、その度に船に自転車を乗せ川を渡るはめになったそうです。

・天竜川の河川敷で遊ぶ父(左)と津倉家の御子息(右)
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左奥に掛塚橋が見えます。
で、自転車をよく見てみると、左右がパイプでつながっていませんか?
何だかオートバイのサイドカーみたいですね。
戦後間もない時代、こんな自転車があったことに驚きですが、親戚同士、仲がよかったようです。

少し脱線してしまいましたが、ここからは、オークションの写真に戻ります。

・天龍川河口 鰹漁?
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文字が台紙と同色のため、何が書いてあるのか上手く読めませんが、右側に船が見えます。
漁から帰ってきた時の写真でしょうか?
それにしては、砂浜で待っている人も多いし、手前にはバッグのようなものもあるため、人を運ぶための船でしょうか?とても気になります。

・福田六所神社に奉納されている絵馬
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これは、福田の様子ですが、掛塚も鰹漁はこんな感じだったのでしょうか?

・福長飛行場
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みんなと倶楽部掛塚には、福長飛行場の子孫の方も居らっしゃいます。
というか、この倶楽部は掛塚のレジェンドみたいな方が多く集まり、私のような若輩者は何の役にも立っていませんが、諸先輩方から掛塚の歴史を教えていただき、後世に繋ぐ役目を担っていこうと思います。

正直、福長飛行場のことはあまり知りませんでしたが、去年、旧掛塚郵便局で福長飛行機展を開催した際には多くの方にご来場いただき、私もよい勉強になりました。
もっともっと、掛塚の歴史を学んでいきたいです。

親父の写真を勝手に使って怒られそうですが、以上、小っちゃな掛塚写真展でした(*^_^*)
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2020/10/24 (Sat) 00:00 |郷土史 |コメント(0)

令和2年度 貴船神社例大祭 本祭り

今日は、掛塚の本祭りです。
神社では神事が厳かに執り行われました。

もちろん、境内に屋台は一台もなく、人もまばらです。

・拝殿に向かう関係者
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・神事の様子
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毎年、雅楽は生演奏ですばらしいですね。心が洗われるようです。

神事が終わってから、東町の屋台小屋が開いているとの情報を聞きつけ、早速向かうと、提灯を付けた屋台を見ることができました。天幕も付いていますが、彫り物は外してありました。もちろん、ロープも付いていません。いわゆる虫干しですね。

・東町屋台
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・年番長
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今年、赤ちょうちんを回し、屋台の出発を告げる合図は、一度もありませんでした。

・手打ち式
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まだ、提灯の明かりがついています。

・激練り
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手打ち式が終わると、提灯の明かりが消えました。
そして、社務所前に移動後、練りを少しだけ・・

今年、最初で最後の練りを見ていたら、自然と涙が込み上げてきました。
こんな当たり前のことが何でできないんだろうと・・
「やいしょ」の掛け声は若者たちの魂の叫びに聞こえ、熱く感じるものがありました。

そして連合会は解散となりましたが、蟹町の屋台が小屋前に出るとの情報を聞きつけ、行ってみると・・
提灯に明かりがともった屋台がありました。

・蟹町 お公家囃子
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入船囃子とお公家囃子の2曲を聞くことができました。責任者のタスキ渡しのために中老が行った粋な計らいのようです。
笛以外の方はみなさんマスク着用で、最大限に配慮された中での演奏でした。

・蟹町本舞台(大正6年再建)
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蟹町さんのおかげで、最後にお囃子を聞くことができ、とてもうれしかったです。
ありがとうございました。

特にお公家囃子は、しんみりと、祭りを締めくくるには最高の曲で、思わず聞き入ってしまいました。

今年は、新型コロナの影響で、屋台運行はできませんでしたが、もう1年踏ん張って、来年は笑って掛塚祭りを迎えたいですね。

2020/10/18 (Sun) 23:17 |掛塚祭り |コメント(0)

令和2年度 貴船神社例大祭

今日は、貴船神社の例大祭です。
しかし・・何もありません・・何も・・・
幟も、露店も、御渡りも、屋台運行も・・・お囃子の一つすら聞こえてきません。
ただ、朝6時に祭りを知らせる花火の音だけは聞こえました。

コロナ禍により全国的な自粛ムードなので仕方のないことですが、何か悪い夢でも見ているのか? 
そんな気分です(´・_・`)

神社では神事のみ執り行われるようですが、それだけでは、あまりに寂しすぎるので、せめてブログだけでもお祭りネタをアップします。

これは、我が家のアルバムから探し出したもので、昭和50年代の写真でしょうか?
いずれも家の前で撮ったものです。

・竹馬
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背景にフルーツ桃屋さんが見えます。その右隣が才平屋で伊豆石の建物が少しだけ見えます。

・太鼓
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背景に写る大正浪漫風の建物は何でしょう?
多分、旧掛塚町役場で、今年撤去された竜洋会館があった場所だと思います。

・御弓
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背景は桃屋(左)と才平屋(右)の間の路地ですね。桃屋さんには幼馴染みのTちゃんが居て、毎日のように遊んでいたので、この風景はよく覚えています。

この路地は車1台通るのがやっとですが、私が、す組の責任者だった平成18年に本舞台を入れてみました。狭いし、ドブ板は壊れそうだし、ヒヤヒヤしましたが、無事引き込みましたよ。
でも、屋台がここを通ったのは、後にも先にもこの年だけだと思います(#^.^#)

・現在の様子
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建物は両方とも無くなってしまい寂しい限りです。少子高齢化が進み、2025年問題はすぐそこまでやってきています。私はお祭りがこのまま存続できるのか非常に心配です。

更地や空家が増える中、掛塚の魅力を伝え、住みたくなるような街づくりをみんなで考える必要があると思います。

・御神輿
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神様、どうかコロナが早く終息し、来年はお祭りができますように・・
そして、掛塚祭りの伝統がこの先もずっと受け継がれていきますように・・・

・御神楽
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昔は台車に乗せず、担いでいたんですね!大変ですが、こちらの方が趣があります。
担いでいる方の髪型やサングラスに時代を感じますね。

以上、昔の御渡りの様子をご紹介しました。

最後に神輿の御供をする屋台の写真を一枚。やっぱりこれがないと掛塚祭りじゃありませんよね。
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大当町の屋台(1798年建造)の後ろに数台の屋台が連なっています。
今年もこの時代絵巻が見たかったなぁ~

そうは言っても、安全第一のため我慢するしかありません。

祭りが終わると、一気に秋が深まり冬はもう間近です。
皆様、お体を大切にし、来年は是非よいお祭りを迎えましょう(^-^)/

ちなみに、10/17(土)、10/18(日)は旧津倉邸で「遠州の小江戸・むかしの写真展」を開催しています。時間は両日とも9時から16時ですので、皆様、マスク着用で是非お越しください。
お待ちしています。
2020/10/17 (Sat) 00:00 |掛塚祭り |コメント(0)

みんなと倶楽部 写真展の準備

今日は、明日、明後日に開催する「遠州の小江戸・むかしの写真展」の準備を行いました。
本来なら前夜祭で、今頃屋台を曳いているはずなのに、開かない屋台小屋を見ると切なくなります。

でも、こんな時だからこそ、写真展を開き、何とか掛塚を盛り上げようと、みんなと倶楽部のメンバーも非常に気合が入っていました。

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写真展は津倉邸の倉庫で開催します。

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いい感じに仕上がりました。

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掛塚まち歩きの冊子も折りこむ準備をしました。

明日の天気が心配ですが、みなさん、是非お越しください。
時間は10/17、10/18とも9時から16時までです。

駐車場は掛塚橋の下の河川敷をご利用ください。
お待ちしています。
2020/10/16 (Fri) 18:28 |みんなと倶楽部 |コメント(0)

砂町屋台の虫干し(天幕編)

10/4(日)に貴船神社で砂町屋台の虫干しを行いました。
公会堂では幕の虫干しも行いましたので、ご紹介します。

・砂町 本舞台用の天幕
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先代屋台は明治16年の大火で焼失しましたが、この天幕だけは難を逃れました。推定ですが、安政年間のものと言われており、現存する天幕では掛塚で一番古いものとなります。
虎の図柄は、当時の津倉家当主が虎年であったからとも言われています。

・砂町 曳舞台用の天幕
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昭和9年建造の曳舞台につける天幕です。商店街の大安売りみたいなデザインですが、私は結構気に入っています。「寿」のボタン文字がいいですね!

・神社に並ぶ砂町屋台の本舞台と曳舞台
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これは、81歳になる父が中1の時に撮った写真です。左側に曳舞台が少しだけ写っています。天幕が特徴的なので、すぐ分かりますね。ちなみに右側は横町屋台です。

・砂町 曳舞台用の旧天幕?
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多分、曳舞台用のものだと思いますが、詳細は全く不明です。かなりペラペラです。

次は見送り幕をご紹介していきます。

・砂町 初代見送り幕
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・裏側
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本町の田中屋呉服店で作成したことが分かります。残念ながら年号が記載されていないため製作年は不明ですが、天幕とともに先代屋台で使用した可能性もあります。
以前、田中屋呉服店をご紹介したページはこちらをご覧ください。

・砂町 二代目 見送り幕
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これは以前ご紹介しましたが、明治時代、油屋から江戸屋(津倉家)へ嫁入りした際に使用した打掛を幕に仕立て直したものです。詳細はこちらのページをご覧ください。私が子供の頃は、まだこの幕を使っていました。

・この打掛けを着て津倉家に嫁入りした方の写真がこちら
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かなりの美人ですね!
掛塚小町といったところでしょうか?
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晩年の写真がこちらになります。とても長生きされました。

ちなみに、抱っこされている赤ちゃんは何と、この私だそうです(#^.^#)
全く記憶にはありませんが(当たり前かぁ)、母曰く、毎日のように抱っこしに来ていたそうですよ。津倉家とは目と鼻の先なので、実家によく遊びにきていたんですね。

・鶏をアップにした写真
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幕の下部にある刺繍です。生地が縮緬のため、耐久性がなくボロボロです。
それにしても、誰が金糸の「寿」の部分を切りとってしまったのか?それとも重さで自然に破れてしまったのか?いずれにしても残念です。

・砂町 三代目 見送り幕
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これは、中古の打掛を買ってきて、仕立て直したものです。こちらも正式な幕ではないので図柄がツギハギになっています。私はこの幕が大嫌いだったため、自分が笛を吹く時は、必ず幕をめくり上げて図柄が見えないようにしていました。

・砂町 四代目 見送り幕
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これは平成12年に京都の川島織物で新調した幕です。
復元ではなく、まったく新しいものを一から作ったので、当時、図柄を決めるのにかなり苦労しました。

最初は、2代目の幕の刺繍部分をモチーフにしたデザインや、竜虎のデザイン等が候補に挙がりましたが、どれも皆が納得するものではありませんでした。
ただ、幕の真ん中に「寿」の文字を入れることだけは決まっていたので、これがかえって図柄を選ぶ際の足かせとなっていたのも事実です。

ちなみに、候補にあがったデザインがこちらです。
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なかなか良い案が出ず、デザインが決まらない中、私が図書館からある本を借りてきて、屋台修復委員の皆様に示したものがこちら。
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非常にシブいデザインですが、私は竹に虎の天幕にピッタリだと思いました。
また、夫婦竹の図柄は、二代目の幕の名残りを汲むものだとも感じました。二人が寄り添って砂町の繁栄を見守ってくれる・・そんなイメージでこの図柄を提案しました。

結果、見事にこのデザインが採用され、現在に至っています。この見送り幕にはそんなエピソードが隠れているんですよ(#^.^#)

色を天幕にあうように変え、当初の予定どおり真ん中に寿の文字を入れて仕上がったデザインがこちら。
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現在の見送り幕の原図です。この図案を刺繍していただき、完成となりました。
ちなみに「寿」の書体は砂町の法被の大紋と同じです。

以上、幕のオンパレードで幸せなひと時でしたが、これで今年の祭りはおしまいです(T_T)
2020/10/11 (Sun) 12:58 |掛塚祭り |コメント(0)

みんなと倶楽部 令和2年10月定例会

今日は台風のため津倉邸の草刈りは中止となりましたが、定例会は行われ、主に10/17(土)、10/18(日)の津倉邸公開について協議されました。

今年はコロナ禍のため祭典当日は御渡りも屋台運行もありませんが、例年どおり津倉邸の公開は開催されます。
そのメインイベントとして掛塚の古い写真展が併せて行われますので、その準備を行いました。

掛塚の旧家から様々な写真を提供していただき、ざっと50枚は超えるほど集まっています。
その内、20枚を額に入れて展示するため、写真選びをみんなで行いました。(他の写真は額には入れませんが、展示はされます。)

・その様子がこちらです。
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私は、初めてみる写真もあり、特に祭り関係の写真は時を忘れて見入ってしまうほどでした。
みなさん、当日は是非、マスク着用でご来場ください。
時間は両日とも9時~16時までとなり、駐車場は掛塚橋の下の河川敷をご利用ください。

歴史好き、祭り好きにはたまらない写真がいっぱいありますよ\(^o^)/

ちなみに、先日、ヤフオクに掛塚の古い写真集が出品されていたので、私はすぐに飛びついたところ無事落札できました。

・その写真がこちら
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掛塚以外の写真がほとんどで、上の写真は三河のものですが、貴重な写真も何点かありましたので、これはまた後日、公開していきますね。



2020/10/10 (Sat) 00:00 |みんなと倶楽部 |コメント(3)

砂町屋台の虫干し

今日は貴船神社で砂町屋台の虫干しを行いました。
蔵から屋台の部材を全て出し、木箱の中の防虫剤を入れ替え、また蔵へしまうだけの作業でしたが、今年はコロナ禍で屋台の組み立てさえ許されない状況の中、ほんの少しだけ祭り気分を味わえました。

・屋台蔵
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掛塚の屋台は、祭り前に蔵から部材を出して屋台を組み立てます。

・屋台小屋
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そして、組み立てた屋台は、町内の屋台小屋へ移動し格納します。
しかし、今年は屋台を組まないので小屋は空っぽのままです(T_T)
過去に台風で屋台運行が中止になったこともありましたが、まさか屋台を見れない年が来るとは夢にも思いませんでした。

・平成12年に新調した砂町屋台の土台
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小屋の中には、屋台の土台だけが寂しく置かれていました。
砂町は欅材の反りを防ぐため、土台のみ組んだままにしてあります。ただ、車輪は外してありますよ。

・幟箱
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蔵の中に転がっていた幟箱の蓋の裏側。明治29年と記載があり、砂町屋台を再建した年に幟箱も新調したことが分かります。

・正面欄間 獅子の玉遊びと牡丹(明治39年 不易堂三光 作)
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砂町屋台で必ず紹介されるのがこの玉の籠彫り。屋台が動くと中の玉がコロコロと音を立てるという触れ込みですが、砂町に生まれ育って48年、一度も音を聞いたことはありません(//>ω<)

・須佐之男命の八岐大蛇退治 (大正8年 伊藤松治郎 作)
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縁止の彫り物です。薄っぺらい彫り物が多い砂町で唯一立体感があり、自町で一番好きな彫り物です。蟹町と同じ題材ですね。

・源頼政の鵺退治(明治30年 不易堂重直 作)
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後面太平鰭の彫り物です。非常に大きな彫りですが、厚みがないのが残念です。

・鵺退治の右側
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上の写真をアップにしました。彫り物を継ぎ足しているのが分かります。

・右側面
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右側面には明治30年三光の文字がありました。

・同じく鵺退治の左側
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こちらも彫り物を継ぎ足しています。
作成当時、寸法を間違えてしまったんでしょうか?


・左側面
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左側面には明治30年鈴木重直八十年作の文字がありました。明治30年に80歳で彫ったことが分かります。明治30年に80歳まで現役だったことには感服しますが、年には勝てず、彫りに勢いがないのは否めません。
ただ、本町屋台の彫りは全盛期に彫っており、非常に繊細で和四郎にも引けを取らない彫り師であることが分かります。砂町も、もう少し早く彫ってもらえばよかったと悔やまれます(T_T)

以上、つかの間の祭り気分を味わえた一日の紹介でした。
後日、天幕バージョンを更新する予定ですo(^▽^)o
2020/10/04 (Sun) 00:00 |掛塚祭り |コメント(0)

プロフィール

南海丸

Author:南海丸
江戸から明治にかけ湊町として栄えた掛塚に在住の50代。
廻船問屋を営んでいた頃の船「南海丸」の名を借りてブログの世界へ出航し、掛塚の魅力を発信していきます。

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