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磐田クスノキ 大学の掛塚まち歩き

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2020/11/30 (Mon) 20:51 |みんなと倶楽部

浜松市 笠井のお祭り

私の母の実家は浜松市東区の笠井町です。
母のアルバムを見ていると、お祭りの写真がありましたので、ご紹介します。

・笠井まつり 上町のお囃子
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写真には昭和31年8月17日の日付がありました。
笠井祭りのお囃子は非常にテンポがよく、癖になるというか、ずっと聞いていたくなるような曲で大好きです。掛塚や横須賀とは違った独特の良さがあると思います。

このお囃子は他地域でも似たような曲を聴きますが、発祥はどこなんでしょうか?

・上町の屋台
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それにしても子供の数が多く、羨ましい限りです。
この時、数十年後に少子化を迎えるとは夢にも思わなかったでしょうね(T_T)

屋台は2階建てで浜松らしい形ですが、個人的には後ろの屋台小屋がレトロで興味があります。

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場所を変えての撮影ですね。現在の上町屋台は掛塚型に変わっていますが、この屋台は現存しているのでしょうか?

・現在の笠井祭り
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笠井祭りの詳細はこちらをご覧ください。

母の実家は今年建て替えをしました。土蔵のお蔵も一緒に取り壊されましたが、その際に出た不用品はありがたく頂戴してきましたよ。
金銭的な価値はありませんが、古いもの好きな私にとっては宝の山でしたので、またの機会にご紹介していければと思います。

以上、浜松市笠井町のお祭りでした。



2020/11/22 (Sun) 18:57 |他地域のお祭り |コメント(0)

見付のお蔵見学会

11/14(土)に「みんなと倶楽部掛塚」のメンバーで見付のお蔵を見学しに出かけました。
案内して頂いたのは「見付宿を考える会」の方々でとても親切丁寧に教えてもらいました。

・見付交流センター
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まずは交流センターで顔合わせです。

・大久保家の庭
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大久保家は旧見付学校のすぐ西隣にある由緒あるお宅です。
シュロの木?ヤシの木?よく分かりませんが、今日一番圧倒されたのはこの大木です。
見付学校のすぐそばに、こんな庭園があるとは知りませんでした。

・鶴屋文庫蔵
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マックスバリュー見付店のすぐ南側にある蔵で、磐田市で唯一の3階建ての蔵だそうです。

・近江屋の蔵
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煉瓦と漆喰のコラボがとても美しい蔵です。この蔵を見れば当時の繁栄ぶりが伺えます。

・大橋商店の店内
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佐鳴予備校の東側にあるお店です。店内には昔の看板や古民具が展示されていて、とても見ごたえがありました。我が家も家を建て直す時は是非参考にしたいと思いました。

・白木屋の石蔵
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宣光寺の西側にある蔵で、非常にオシャレな蔵です。特に瓦は富士山があしらわれており、細部まで凝った造りに驚きました。

約2時間ほどを掛けて見付の蔵を中心に散策しましたが、まだ全体の1/3くらいだそうです。
見付の歴史の深さを改めて認識すると同時に、景観の保全に努める姿勢はただただ感心するばかりです。また、私は消防士として、この町を絶対に守らないといけないという気持ちにもなりました。

次回は是非掛塚へお越し頂ければと思います。地域の交流を深めることで磐田市の発展に繋がっていければいいですね\(^o^)/
2020/11/15 (Sun) 20:50 |他地域の郷土史 |コメント(0)

火事と喧嘩は小江戸の華

かつて掛塚は遠州の小江戸と呼ばれるほど栄えたそうですが、住宅が密集すれば火災の危険も大きくなり、幾度となく大火を繰り返した歴史があります。

よく言われるのが、明治16年の大火で砂町屋台、明治32年の火災で横町、田町の屋台、明治36年頃に中町屋台が焼失しており、実に4台もの屋台が被害にあっています。

しかし、消防もただ指をくわえて火事を見ていたわけではありません。
貴船神社の記録によれば、明治33年の火災は「午前3時、十郎島より出火し、類焼百戸、関居住宅(宮司宅)災に罹る。社殿も既に奇禍に罹らんとしたけれども、消防の尽力により幸いに危機を免れたり」とあり、間一髪のところで社殿の被災を免れたことを示しています。

「火事と喧嘩は江戸の華」の言葉どおり、小江戸と呼ばれた掛塚でも火消しの活躍が伺えます。そこで今回は、掛塚の消防史について、我が家に残る資料を元にご紹介したいと思います。

1 明治27年 長上郡掛塚村 消防組第二部小頭の任命書
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私から4代前の方の任命書です。小頭というと、今の分団長でしょうか?
注目すべきは、左側の静岡県警察部のところです。昔は、警察の内部に消防が含まれていました。

といっても、常備消防(消防署)があるわけではなく、店を経営しながら町の火消も兼務する非常備消防(消防団)が中心の時代であり、自分の町は自分で守る自助共助の精神が浸透していました。今、東南海地震が叫ばれる中で、今一度この精神を見直す必要があると思います。

2 明治27年 長上郡掛塚村 消防組第二部消防手の任命書
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私から3代前の方の任命書です。消防手というと、普通の団員といったところでしょうか?
先ほどと同じ明治27年の任命書なので、親子で消防に携わっていたことが分かります。

3 昭和38年5月の写真
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今から57年前の写真で、私の祖父です。「竜洋町」の文字が懐かしく感じます。

昭和39年4月 消防団春季演習
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レトロなオープンカーの消防車でカッコいいですが、冬場は寒くて凍えそうですね。
場所は竜洋中学校のグランドでしょうか?

4 昭和40年代の写真
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竜洋町消防団が貴船神社の社殿前で撮った写真です。車両の古さに時代を感じます。
向かって後列、右から2番目の眼鏡をかけているのが私の父です。
明治33年の火災で消火に失敗していたら、この社殿はなかったことになりますね。

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こちらは夏用の作業着です。

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訓練の見学でしょうか?
今の半分位の体系の父(左側)です。私も年を取ったら太るのか非常に心配です。

5 現在の防火衣
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これは私の防火衣です。防火衣といっても燃えないわけではなく、燃えにくい素材でできています。ただ、非常に分厚く、真夏の火災はこれを着て活動するとすぐ熱中症になってしまうため、インナーに保冷剤を入れて対応していますよ(#^.^#)

6 明治時代の防火衣
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新旧の防火衣を比べてみました。
向かって右側が我が家のもので、左側が角屋さんのものです。同じ砂町同士なので、明治時代、火消しの帰り道はこんな後ろ姿だったんでしょうか?

刺子半纏はリバーシブルとなっており、表は紺の無地で裏が写真のように歌舞伎柄のデザインです。
江戸の火消しは消火時に表を着て、消火後は裏を着て粋に引き揚げるそうです。どんなに疲れてヘロヘロでも、やせ我慢してカッコつけるところに心意気を感じます。

先ほど、右側は我が家のものと言いましたが、正確には津倉家から頂いたもので、元は津倉貞三氏の刺子半纏です。私が消防吏員になった際、お祝いに津倉捨蔵氏(貞三の子)から直接頂きました。捨蔵氏の母親は明治時代に我が家から嫁入りして親戚関係にあるため、気前よくくれたものです。

この刺子半纏は、我が家の家宝として大切に保管していきたいと思います。
以上、明治から令和にかけ、我が家の5代に渡る消防史をご紹介しました。

ちなみに、磐田市消防本部の情報がまとめられている消防広報誌「べっくん119」はこちらのサイトをご覧ください。

これから空気が乾燥して火災シーズンに入ります。火の元には十分ご注意ください。
~ 火の用心 ~!! (秋の火災予防運動週間11/9~11/15)

2020/11/09 (Mon) 00:00 |郷土史 |コメント(0)

細江町 姫様道中

我が家の古い写真を整理していたところ、昭和39年4月の細江町、姫様道中のものが出てきたためご紹介します。屋台の写真もあり、桜も綺麗で行ってみないなぁと思いました。

・アルバム
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・2階建ての屋台
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スピーカーのような物が邪魔で破風がよく見えませんが、2階建ての屋台です。
しかし、これが細江町のお祭りかは不明です。
姫様道中と同じ並びで写真があったため、掲載しましたが、ご存じの方がいらっしゃったら教えてください。

・屋台?
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上の写真と同じ地域のお祭りだと思いますが、詳細は不明です。

・行列
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ものすごい賑わいです。掛塚祭りもこれくらいの人出がほしいですね。

今年はコロナでどこにも行けませんが、終息したら、いろいろな土地のお祭りを見にいきたいです。
姫様道中の詳細はこちらをご覧ください。
2020/11/01 (Sun) 19:16 |他地域のお祭り |コメント(0)

プロフィール

南海丸

Author:南海丸
江戸から明治にかけ湊町として栄えた掛塚に在住の50代。
廻船問屋を営んでいた頃の船「南海丸」の名を借りてブログの世界へ出航し、掛塚の魅力を発信していきます。

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