fc2ブログ

砂町の天幕と下絵

先代の砂町屋台は明治16年の大火で焼失しましたが、この幕は難を逃れ、安政年間のものと言われています。現存する掛塚の天幕では最も古く、今もなお当時のものを使用しています。

また、掛塚の他町の天幕は全て赤地ですが、砂町は唯一白地で、丈が短いのも特徴です。
丈が短いのは、焼失した先代屋台が2階建てであったため、との言い伝えですが、詳細は不明です。

以前、貴船神社の境内で、天幕と下絵を並べたことがあり、今日は、その違いをご紹介していきたいと思います。

・天幕と下絵
IMG_20200726_092515_convert_20201122102102.jpg
天幕も下絵も横に細長いですが、天幕に比べ下絵の方が若干大きな造りです。
下絵は巻物のような感じで、普段は木箱に保管されています。


・屋台正面
IMG_20201018_102815_convert_20201020212044_convert_20201020213020.jpg

IMG_20201018_102853_convert_20201020212649_convert_20201020213121.jpg

・屋台の右側面
IMG_20201018_102724_convert_20201020204005.jpg

IMG_20201018_102756_convert_20201020204101_convert_20201020212857.jpg
左の2匹の小虎は下絵に描かれていませんが、何故か天幕には刺繍があり、虎は全部で7匹います。

IMG_20201018_102643_convert_20201020203705.jpg

IMG_20201018_102701_convert_20201020203849.jpg
この虎は目のガラス玉が紛失しているため、現在の目は刺繍となっています。

・屋台の左側面
IMG_20201018_102916_convert_20201020213431_convert_20201020213529.jpg

IMG_20201018_102940_convert_20201020213607.jpg
この虎の目も刺繍のため、何か不自然で迫力がありません。

IMG_20201018_102959_convert_20201020213714_convert_20201020213821.jpg

IMG_20201018_103023_convert_20201020213915.jpg
こうして下絵と天幕を比べてみると、比較的忠実に刺繍されていることが分かります。
古老の言い伝えてでは、昔、虎は金色に輝いていたとのことですが、虎も竹も金色だと図柄が同化してしまう気がします。新調当時、どんな感じの天幕であったのか、とても気になります。

ちなみに刺繍業者さんの話では、天幕の下地は製作当初、真っ白であったとのこと。現在は黄ばんでこの色になっているそうです。

・旧津倉邸の屏風
IMG_20200809_110045_convert_20201020214343.jpg

IMG_20200809_110055_convert_20201020214449.jpg
砂町天幕の図柄が虎である理由は、当時の津倉家の当主が寅年であったからとの言い伝えがあります。その津倉家にある屏風が、こちらの虎と豹の図で、天幕との因果関係が気になります。

ちなみに豹が描かれているのは、昔、虎の雌は豹であったと考えられていたからだそうで、この屏風は虎の夫婦になると思われます。

す組の天幕は、掛塚の他町と比べると質素なデザインですが、砂町の大切な宝です。言い伝え通り、安政年間の作となると既に160年以上が経過しており、今後も大切に保管し後世に受け継いでいかなければなりません。

ただ、目の刺繍は本来のガラス玉に復元したいですね。いつか7匹の眼光鋭い虎を見てみたいです。

・中学時代の同級生他
IMG_20201122_113621_convert_20201122114207_convert_20201122114435.jpg
中学時代の私です。現在、息子は中学生なので、時の流れを感じる1枚です。
スポンサーサイト



2020/12/27 (Sun) 00:00 |掛塚祭り |コメント(0)

昔の空缶

前回は、母の実家の蔵を解体した際に出た昔の万国旗をご紹介しましたが、今回はその第2弾で、昔の空缶です。
金銭的な価値はありませんが、レトロ感あり、捨てるのは勿体ないと思い蔵から回収してきました。

・明治コナミルク
IMG_20201122_151536_convert_20201129184734.jpg
今年77歳になった母は、この粉ミルクを飲んで育ったんでしょうか?

・森永チョコレートドロップス
IMG_20201122_151512_convert_20201129184527.jpg

・味の素
IMG_20201122_151444_convert_20201129184416.jpg

・白雪
IMG_20201122_151555_convert_20201129184852.jpg

・滋養メレンゲ菓子
IMG_20201122_151410_convert_20201129184331.jpg

・純良蜂蜜
IMG_20201122_151647_convert_20201129185024.jpg
どれも状態はよくありませんが、文字は読めるレベルです。
こんな物でも、今となっては貴重ですので、大切にとっておこうと思います(#^.^#)
2020/12/20 (Sun) 18:14 |他地域の郷土史 |コメント(0)

昔の万国旗

昨年、母の実家の蔵を取り壊す際、不要な物は処分するということで、慌てて回収しに伺いました。

その内の1つが万国旗です。母の実家は浜松市の笠井で商店を営んでいたので、戦前に使っていたものと思われます。

現在の万国旗はビニール製やアクリル製が当たり前ですが、この万国旗は綿製でいい感じの風合いがあります。

写真では伝わりにくいと思いますが、掛塚納涼祭等で活用できればと考えています。

・アメリカ国旗
IMG_20201107_184046_convert_20201213195241.jpg
13本のストライプは今と変わりませんが、星条旗の数は46で、今より4つ少ないですね。

・韓国国旗
IMG_20201121_184057_convert_20201213205436.jpg
何故か中央の太極が左右となっています。現在は上下?

・ベルギー国旗
IMG_20201107_155217_(2)_convert_20201213204755.jpg
これは今も昔も変わらないですね。

・不明な国旗?の数々・・
IMG_20201107_184324_convert_20201213195516.jpg

IMG_20201107_184303_convert_20201213195544.jpg

IMG_20201107_184414_convert_20201213195728.jpg

IMG_20201107_184245_convert_20201213195838.jpg
今はもうない国の旗もあるんでしょうか?
その他にもたくさんの国旗がありましたが、今回は一部のみの公開とします。

・錨のマークが入った旗
IMG_20201107_184350_convert_20201213201011 (2)
これは国旗ではないと思いますが、なぜ湊町ではない笠井にあったのかは不明です。
掛塚にあったのなら納得がいくのですが・・・

・大日本帝国萬歳
IMG_20201123_102901_convert_20201213195926.jpg

IMG_20201123_102639_convert_20201213200000 (2)
何故かこの旗だけ大量にありました。
今、この旗を掲げれば大問題となるため活用はできませんが、戦前や戦時中はこれが当り前だったんですね。

・昭和36年の新聞
IMG_20200922_103150_convert_20201213085140.jpg
これは、我が家の蔵の中にありました。
多分、誰かが勉強用に取っておいたものだと思います(#^.^#)

国旗には様々なデザインがありますが、その国の顔であり、それぞれに意味があるのだと思います。
国名が不明な旗は、また時間がある時、ゆっくり調べていきたいと思いました。

以上、昔の万国旗のご紹介でした。

2020/12/13 (Sun) 00:00 |他地域の郷土史 |コメント(2)

荘川営林所

古い写真を整理していたら、丸太が沢山写っている写真が出てきたので紹介します。
昭和中期頃の写真でしょうか?

・荘川営林所
IMG_20200724_090814_convert_20201013203633_convert_20201013205049.jpg
営林所とは、ネットで調べると「営林局の監督下で、農林水産省林野庁の地方行政機関。大正13年、それまでの小林区署が改称され、国有林などの造林および営林にあたった。平成11年、林野庁の組織再編に伴って廃止され、森林管理署に移行」となっています。

荘川とは、岐阜県高山市荘川町のことだと思いますが、こんな遠くにまで商売に来ていたのでしょうか?それとも何かの視察?

・ブナ材
IMG_20200724_090824_convert_20201013203804_convert_20201013205147.jpg
右側で帽子を被り座っているのが大正生まれの私の祖父です。

ブナの木は非常に重く川を流して搬出することが困難なことから、商取引には向かない資材だったようです。その上、腐りやすい、加工後に曲がって狂いやすいという性質があり、20世紀の後半まで用材としては好まれませんでしたが、薪のほか、下等品のための需要はあったようです。

・大多和山林
IMG_20200724_090830_convert_20201013203911_convert_20201013205220.jpg
大多和峠は岐阜家と富山県の境にある峠ですが、この付近の山林でしょうか?
何故この場所に来たのか、非常に気になります。

掛塚は天竜川の上流から流した材木を、船で江戸や大阪に運び栄えた湊町です。
東海道線が開通後、廻船業は衰退し、今では湊の跡すらに残っていませんが、材木商の名残りは残っていたようです。

地元の材木商で有名なのは天竜木材で、中町の旧廻船問屋である稲勝家が経営に携わっていました。
祖父の姉がこの稲勝家に嫁いでおり、その関係から我が家も材木商をかじっていたのかもしれません。

いずれにしても、掛塚と材木は深い繋がりがあることに間違いはなさそうです。
良質な木材が手に入ったからこそ、立派な屋台が建造できだんでしょうね(*^_^*)
2020/12/06 (Sun) 23:31 |郷土史 |コメント(0)

プロフィール

南海丸

Author:南海丸
江戸から明治にかけ湊町として栄えた掛塚に在住の50代。
廻船問屋を営んでいた頃の船「南海丸」の名を借りてブログの世界へ出航し、掛塚の魅力を発信していきます。

メールフォーム

名前:
メール:
件名:
本文:

FC2拍手ランキング

検索フォーム

ブロとも申請フォーム

QRコード

QR

アクセスカウンター