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山下青厓の絵

山下青厓(やましたせいがい)は、遠江(浜松)に生まれた日本画家です。
渡辺小華に師事し、渡辺崋山・椿椿山・中国画人の画を学び、小華と共に皇居の明治宮殿杉戸絵作成に携わっています。
昭和17年(1942)年歿、84才。

今日は、この山下青厓について少しご紹介したいと思います。

・旧掛塚廻船問屋 津倉邸の襖絵
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津倉家と笠井の山下家は親戚に当たり、その関係から座敷の襖絵には山下青厓の絵が飾られているそうです。

・浜松市笠井まつり 政諾社の屋台
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政諾社は昭和20~30年代に山下青厓の子、山下青城の絵を正面に付けていましたが、屋台新調とともに取りやめていました。しかし、2016年頃から再び山下青城の絵を掲げ、提灯も昔の市松模様の柄に戻したようです。

掛塚でいうと、天幕のようなイメージですが、独特の個性があっていいですね!

ちなみに・・私の母の実家は浜松市の笠井で、旧姓は山下です。
詳細は不明ですが、山下青厓とも何らかの関わりがあるようで、母の実家には絵が何点か残っています。

昨年、母の実家を建て直した際、天袋の襖絵は捨てるとのことでした。
躊躇なく捨てるくらいボロボロな状態ですが、「青厓」の文字が入った絵を簡単に捨てるわけにはいきません。

天袋の襖絵(左)
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図柄は鯉でしょうか?

・拡大図
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天袋の襖絵(右)
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・拡大図
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青厓の文字がハッキリと確認できます。こちらの図柄は鮒?

本当にボロボロなので絵の価値は全くありませんが、直す費用もないため、このまま我が家で保管しようと思います(#^.^#)

以上、津倉家と関係のある山下青厓についてのご紹介でした。津倉家の襖絵は綺麗な状態で残っていますので、未だご覧になってない方は是非、お越しください。


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2021/03/28 (Sun) 09:09 |郷土史 |コメント(1)

幻の神輿

これまで、「掛塚屋台とお囃子」の冊子について、新旧を見比べてきました。
冊子はお題目のとおり、屋台とお囃子のことしか触れられていませんが、やはり最後は御神体が乗る、御神輿についてご紹介したいと思います。

平成12年の新聞記事に「幻の神輿」の記事が掲載されていました。
全文を読んでみると・・・

・平成12年7月24日 中日新聞
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静岡県磐田郡竜洋町掛塚の貴船神社(関正胤宮司)で見つかった約300年前に作られたとみられる神輿(みこし)が23日、同神社と地元のまちおこしグループ「遠州掛塚倶楽部」(足立昌弥会長)の会員ら十数人の手で組み立てられ、120年ぶりに復元された。

神輿は関宮司や会員らが2時間ほどかけて組み立てた。木はヒノキとクスノキが使われ、縦81㎝、横125.5㎝、底床から棟までの高さは145㎝と1881(明治14)年に造られ、現在使われている神輿より一回り小さく、装飾も簡素だった。

ただ神輿の土台が同じ長方形で、菊の紋章の彫金が施されるなど共通点が多く、全体的な造りも似ていることから、関係者は見つかった神輿を参考にして現在のものを作った可能性が高いとの見方を強めている。また、唐破風(からはふ)造りの屋根の形は町文化財に指定されている掛塚屋台8台のうち、最も古い江戸時代に建造された大当町屋台に似ていることなども分かった。

屋根の下の板材には、鮮やかな赤い漆で書かれた「宝永四(1707)年七月吉日」や「濱松板屋町重沢」などの文字も。神輿は十分乾燥してから漆が塗られることから造られた年代はさらにさかのぼるとみられる。

同神社は1883(明治16)年9月の掛塚大火で焼失したが、1880(明治13)年まで使われたとみられる神輿などは別棟の御宝蔵(倉庫)に保存されていて残ったらしい。神社ではしばらくの間、社殿に置いて、地元の人たちに見てもらうことにしている。

以上が記事の全文になります。

・組み立て前の旧御神輿
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・組み立て中
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当時、私は仕事で残念ながら組み立てには参加できませんでしたが、父が写真を撮ってくれました。組み立ては手探りの状態でかなり苦慮したようです。

・新旧の御神輿(左:宝永4年建造? 右:明治13年建造)
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こうして見比べてみると、新旧の違いがよく分かります。

・大当町屋台(寛政10年建造)と蟹町屋台(大正9年建造)
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新旧の御神輿の写真と屋台を見比べると、それぞれ破風の形が似ていて、時代の特徴がよく表れています。

・旧御神輿に記載されていた文字
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「掛塚」の文字が確認できます。

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「宝永」の文字が確認できます。宝永4年は西暦1707年なので、今から314年前になります。

・元禄年間の御鏡の裏側
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元禄10年は1697年で、宝永年間の一つ前の年号です。
この御鏡は現在も使用されており、御神輿の四方に飾られています。

300年前の御渡りがどんな様子であったのか?その御供をする各町の屋台はどんな造りであったのか?今となっては知る由もありませんが、この歴史ある掛塚祭りの火を絶やすことなく後世に伝承していかなくてはなりません。


2021/03/21 (Sun) 11:24 |掛塚祭り |コメント(0)

掛塚屋台とお囃子(蟹町編)

前回の続きで、掛塚屋台とお囃子の蟹町編です。

・昭和44年の冊子
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・昭和52年の冊子
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蟹町屋台は大正9年に掛塚の名工、坂田歌吉が手掛けたもので、中町と同じ棟梁になります。

特徴は、天幕の図柄と縁葛の螺鈿細工ですが、天幕も中町と同じく、北斎漫画を引用したものです。特に側面の二股大根の刺繍は女性の足を表しており、ユーモア感たっぷりで見るものを飽きさせません。

また、螺鈿細工は間違いなく掛塚一の出来栄えで、煌びやかなだけでなく、デザイン性にも優れています。

更に腰板の枠の漆塗装も個性的で、何層にも塗られてできた模様は神秘的で、とても見ごたえがあります。

・昭和50年に発行された掛塚祭写真集
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屋台は今も昔も全く変わっていません。変わったのは法被のデザインと掛塚の街並み、屋台に乗る子供の数くらいでしょうか?

2021/03/14 (Sun) 09:34 |掛塚祭り |コメント(0)

掛塚屋台とお囃子(新町編)

前回の続きで、掛塚屋台とお囃子の新町編です。

・昭和44年の冊子
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・昭和52年の冊子
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新町屋台の特徴は、何と言っても立川和四郎が手掛けた彫り物の見事さです。どれも繊細かつ立体的で、文句のつけようがありません。
掛塚で彫り物と言えば「新町」というくらい、どれも素晴らしい彫りなので、観光客の方には是非見ていただきたい屋台です。

また、掛塚で唯一、腰板に彫り物が付いており、腰の組子が持ち送りな点も個性があります。

個人的には、腰板の枠の模様が一番好きで、他町とは一線を画した素晴らしい屋台です。

屋台建造も大当町につぎ、掛塚では2番目の古さで、江戸時代末期の慶応2年の作と言われています。本町屋台を建造する際、お手本になった屋台でもあり、掛塚を代表する屋台だと思います。

・昭和50年に発行された掛塚祭写真集
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モノクロ写真で分かりにくいですが、新町は縁葛の螺鈿細工も密度が濃く、とても煌びやかです。

以上、簡単ですが新町屋台の紹介でした。

2021/03/07 (Sun) 20:25 |掛塚祭り |コメント(0)

プロフィール

南海丸

Author:南海丸
江戸から明治にかけ湊町として栄えた掛塚に在住の50代。
廻船問屋を営んでいた頃の船「南海丸」の名を借りてブログの世界へ出航し、掛塚の魅力を発信していきます。

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