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人物史 事業人物社編纂

蔵を整理していると、「人物史」なるものを発見しました。
昭和10年発効の非売品で、浜松を中心とした当時の会社や人物を紹介しており、黒田正一著となっています。

・人物史 事業人物社編纂
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まずは、掛塚に関係している人や会社を探してみると・・

・掛塚の3名
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右から読みのため非常に見ずらいですが、掛塚からは、池田保平氏、稲勝清三郎氏、井川庄吉氏の3名が確認できます。

関係する会社の写真を探してみると・・

・天龍木材株式会社
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屋根に描かれた大きな丸天のマークがいい感じです。

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現在の天龍木材 自社工場です。約100年でこうも変わるものですね。

・天龍製材株式会社
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大量の木材が確認できます。これだけ需要があったんですね。
でも、天龍木材と天龍製材は全く違う会社なんでしょうか?

・龍西木材株式会社
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こちらも大量の木材が確認できますが、残念ながら龍西木材は現存していません。

我家はこの龍西木材に関係があったようですが、稲勝家とは親戚のため、私は今まで天龍木材に関与しているものとばかり思っていました。

所在地は中ノ町国吉となっていますが、国吉のどの辺りにあったんでしょうか?
西龍木材がどんな会社であったのか非常に気になります。

その他は、浜松中心ですが、レトロな建物の会社が多く載っているので、また別の機会にご紹介していきたいと思います。

以上、人物史のご紹介でした。

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2021/04/25 (Sun) 12:43 |郷土史 |コメント(0)

昭和時代の掛塚まつり(パートⅠ)

そろそろネタも尽きてブログの更新に困っていたところ、救世主が現れました。
「す組の若大将」ことAMさんが貴重な写真を提供してくださり、これで何とか南海丸の沈没を回避できそうです。(#^.^#)

では、早速写真をご紹介していきたいと思います。

・昭和37年の砂町屋台(明治29年再建)
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今回、提供して頂いた写真の中で一番貴重であったのが、この1枚です。
注目すべきは屋台の後方で、何と昔の屋台小屋が写っているではありませんか!
残念ながら全景は確認できませんが、間違いなく、す組の旧屋台小屋で私は生まれて初めて見ました。小屋の後ろには西光寺の屋根も写っていて、場所も特定できます。

現在の屋台小屋は鉄骨造ですが、旧屋台小屋は木造の組み立て式で、祭りが終わると屋台は勿論、小屋も解す必要があり、今よりずっと大変だったことが伺えます。

掛塚まつりの提灯は全てローソクの火を灯すため、火の用心に若者が屋台に寝泊まりする文化があります。これは現在でも続く伝統ですが、ほぼ外であるため深夜はかなり冷え込むうえ、狭い屋台の中では熟睡もできず、とても辛い任務です。

・昭和39年の砂町屋台
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場所はどこでしょう?瓦屋根がいい感じです。
それにしても屋台前の宣伝提灯が懐かしいですね。

・伊豆石造りの旧掛塚商店
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写真を提供して頂いたす組の若大将です。本当にお若いですね(^∇^)

背景に写るのは今はなき、掛塚商店の呉服問屋「才平屋」です。我が家の御向いのお宅なので、子供の頃はこの伊豆石造りの風景が当り前でしたが、現在は防災公園となっており、見る影もありません。

・同じアングルの現在
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上の写真と同一の場所とは思えませんが、右手に見える電柱を目印にするとイメージが湧くと思います。

大分寂しくなってしまいましたが、この掛塚には港町の面影を残す伊豆石造りの蔵や住宅が何件か残っていますので、大切に保存し町おこしに活用できればいいですね。

以上、昭和時代の掛塚まつり(パートⅠ)でした。
写真はまだまだ、大量にありますので、パートⅡに乞うご期待(^-^)/
2021/04/17 (Sat) 16:30 |掛塚祭り |コメント(0)

磐田市立竜洋西小学校

磐田市立竜洋西小学校では、令和3年3月19日に卒業式があり、80名の西っ子達が巣立っていきました。そして、4月7日には、新たに68名の西っ子達が入学し、令和3年度がスタートしました。

私は令和2年度、PTA会長の大役を仰せつかり、緊張の連続でしたが、この入学式をもって会長の任が解かれ、ようやく肩の荷がおりました(*^_^*)

今日は、この竜洋西小学校について、少し紹介したいと思います。

・玄関には旧掛塚橋のミニチュアが飾られています。
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・その隣には屋台のもミニチュアもあります。
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次は、我が家の蔵の中にあった卒業アルバムです。

・昭和初期の卒業式(男子)
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・昭和初期の卒業式(女子)
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校舎も服装も今とは全く異なりますが、今から90年くらい前はこんな感じだったんですね。

・大正15年の卒業証書
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・大正7年の卒業生心得書
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当時の小学生はこんな心得書も渡されていたんですね。とても厳しそうです。

・令和2年度卒業式 次第
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校歌は歴史を感じますね。歌詞が難しく、未だに理解できない部分があります。

・卒業式PTA祝辞

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同級生の徳佐屋さんが記念に撮ってくれました。ありがとうございます。

とても緊張しましたが、私の1年間の思いを込めて祝辞を述べさせて頂きました。

以下、祝辞の本文です。


祝辞

PTAを代表して、一言お祝いの言葉を申し上げます。

卒業生の皆さん、ご卒業おめでとうございます。

皆さんは、平成二十七年四月に、この場所で入学式を迎えましたが、当時のことを覚えているでしょうか。おうちの方は、よく覚えていると思います。

 

 おめかしをして、入学式に出席した皆さんですが、椅子に座ると、足が床につかず、ぶらぶらさせている子や、式の途中、不安そうに後ろを振り返り、おうちの人を探す姿もありました。

 

あれから六年間、雨の日も風の日も、毎日頑張って登校し、勉強や運動に励みました。また、たくさんの友達を作り、絆という宝物を手にいれて、心も体も立派に成長し、今日この日を無事に迎えることが出来ました。

 

それは、皆さんが頑張った証しであるとともに時には、厳しくも優しく見守ってくれたご家族や、教職員の皆さま、地域の方々のお陰であることを忘れないでください。

 

最上級生となった今年度は、コロナ禍により、思うような学校生活が送れませんでした。特に、スポーツフェスティバルや修学旅行は、規模が縮小され、寂しい思いをしました。

 

しかし、このような逆境のなかでも、皆さんは校歌の歌詞にある「我らたゆまずはげむべし」のとおり、一歩一歩、努力を続けてまいりました。

 

 とても苦しい一年ではありましたが、この経験はきっと皆さんの将来に役立つものだと思います。コロナ禍で学んだ、「今できることに全力で取り組む」というスタンスで、一生懸命頑張って下さい。応援しています。

 

 保護者の皆さま、本日は誠におめでとうございます。そして日頃より、PTA活動にご理解とご協力をいただき、心より感謝申し上げます。子供達を思い、ともに悩み、喜び、悲しみ、この六年間の中には、様々なご苦労があったことと思います。

 

 しかし、子供達のお陰で、我々大人もより一層成長できたのではないでしょうか。正に今年度のスローガンに掲げた「子供と共に成長」を達成できたのではないかと思います。

 

 最後になりますが、校長先生をはじめ、教職員の皆様、六年間一人一人の児童に熱意をもってご指導いただき、誠にありがとうございました。保護者を代表して心より御礼申し上げます。ありがとうございました。どうか、これからも変わらぬ愛情とご支援をいただきますよう、よろしくお願い申し上げます。

 

今日この学校を巣立っていく八十名の子供たちが、竜洋西小学校の、卒業生としての誇りを持ち、これから多いに活躍されますことを、ご祈念いたしまして、お祝いの言葉とさせていただきます。


以上、竜洋西小学校のご紹介でした。

少子高齢化が心配ですが、学校と家庭、そして地域が一体となって、磐田市の将来を担う子供達の育成に取り組んでいきたいですね。






2021/04/11 (Sun) 18:18 |郷土史 |コメント(0)

昔の選挙

4月18日は磐田市長及び磐田市議会議員選挙です。

市長選は無投票になりそうですが、議員選は選挙になりそうです。
磐田市の将来を託せる方を選ぶ重要な日ですので、少しでも投票率を上げ、多くの声を市政に反映できたらいいですね。

私は都合上、直接選挙には関与できませんが、今日は我が家に残る選挙の歴史についてご紹介したいと思います。

・昭和39年4月 竜洋町長選挙戦
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私の祖父になりますが、演説の場所はどこでしょう?大きな松の木があり、石垣もいい感じです。鯉のぼりは今も昔も変わらないですね。

・選挙カー
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背筋が伸びて姿勢がいいですね。出馬の決意が現れている一枚だと思います。

・山口屋本店前
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車の形や着物姿が時代を感じさせます。

・自宅前での演説
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これも祖父の演説ですが、カラー写真となり、先の写真より少し時代が進んでいるようです。
名前入りの大きな提灯がいい感じなので蔵の中を探してみましたが、見つかりませんでした。

・才平屋前
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写っている建物は全て無くなっていますね。

・万歳三唱
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当時の掛塚の街並みが色濃く残った1枚です。
右側手前に我が家の伊豆石の塀が少しだけ見えますが、今は無くなってしまいました。

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同じアングルで新旧を比べてみました。残っている建物は左奥に見える瓦屋根の角屋雑貨屋さんだけではないでしょうか?寂しい限りです。
電柱の位置だけはあまり変わらないですね。

・自宅前
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先の写真と似ていますが、これは父の選挙の時のものです。

・選挙カー
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「若さと行動力・・・44歳」と看板に記載があります。
当時、私は中学生でしたが、今はこの時の父の年齢を軽く超えてしまいました。
こうしてみると時代の流れをしみじみと感じます。

・明治41年の選任書
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我が家に残る選挙関係の資料で最も古いのがこの選任書です。

・昭和13年の感謝状
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曽祖父の妹が津倉家へ嫁いでいるため、この感謝状は義理の弟である貞三氏から頂いたものですね。

以上、我が家に残る選挙の歴史のご紹介でした。


2021/04/04 (Sun) 10:04 |郷土史 |コメント(0)

プロフィール

南海丸

Author:南海丸
江戸から明治にかけ湊町として栄えた掛塚に在住の50代。
廻船問屋を営んでいた頃の船「南海丸」の名を借りてブログの世界へ出航し、掛塚の魅力を発信していきます。

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