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祖父の二十三回忌

今日は、祖父の二十三回忌でした。
我家の菩提寺は掛塚新町の国清寺ですが、コロナ禍により親族は集まることができず、家族のみで祖父を偲びました。

・松林山国清寺
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本堂は昭和50年代に建て直していますが、新町屋台の彫り物は慶応2年に信州諏訪の名工、立川和四郎が一門をひきつれ国清寺に於いて3年を費やして製作したと伝わっています。おそらく三代和四郎冨重と弟の冨種の作と思われます。

・新町屋台の彫り物
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幕末の左甚五郎とうたわれた和四郎の作品はどれも超一級品です。

・国清寺の由来
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1,600年代の創建と伝わっており、開基の松山家は姫路藩主の池田輝政公と姻戚関係であったそうです。

・我が家のお墓
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このお墓は大正年間に建てたそうです。

・御本堂
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御本堂には立派な阿弥陀如来様が祭ってあります。

・發願文
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祖父が書いたもので、この日のために、和尚様が飾ってくれました。

・お寺の過去帳
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一番古いものは明和6年のもので、今から252年前の過去帳が現存していることにびっくりしました。
時間がなく、あまり拝見できませんでしたが、我家で確認できたのは明治15年の過去帳でした。
今度、時間を取ってゆっくり伺おうと思いました。

以上、祖父の二十三回忌でした。

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2021/05/30 (Sun) 00:00 |郷土史 |コメント(0)

昭和時代の掛塚まつり(パートⅢ )

す組の若大将ことAMさんより提供して頂いた写真で、昭和時代の掛塚まつり(パートⅢ)です。
東海地方も梅雨入りしましたので、今回は雨の掛塚まつりのご紹介です。

お渡りの先頭
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背景の四角い建物はシオヤフードセンターで、とても懐かしいです。更にその奥にはカドヤの蔵が確認できます。カドヤは駄菓子屋さんだったので、子供の頃、よくお菓子を買いにいったのを覚えています。

・現在の様子
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残念ながら、右側に写る魚屋のとんやさんも店閉まいとなりましたが、建物は残っています。
奥のカドヤさんの蔵は無くなっていますが、左側に見える港屋さんの伊豆石の蔵は今も残っています。
とても貴重な蔵なので、これからも大切に保存してもらいたいですね。

・とんや前を通る天狗
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周りはカッパを着ていませんが、天狗だけ着ているのは気のせいでしょうか?

・とんや前の御神輿
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このシートは見たことがありませんでした。今は確か透明になっていたと思います。

・とんや前の中町屋台
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シートを被っていると、どこの町か分かりにくいですが、中町の屋台です。
屋台前の提灯と天幕が手掛かりですね。

・かめや前の砂町屋台
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昔はどの町も写真の様な茶色のシートでした。
これだと中の子供は外が見れないのでシートを中に入れ込んでいる状態です。
これでは、中が水浸しになってしまうのでは・・? 今は全町、透明なシートになっています。

・旧掛塚郵便局前の砂町屋台
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左側に見える瓦屋根は湊屋さんです。大きな屋根が印象的でいいですね。
湊屋さんはこの辺の網元であり、かつてはこの場所で鰹節も作っていたそうです。

・桃屋前の砂町屋台
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左にカドヤさんの蔵があり、右に桃屋さんの建物があります。
子供の頃はこの風景が当り前でしたが、両方ともなくなってしまいました。

・浅田屋前を通る砂町屋台
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昼間なのに何故か提灯を付けています。
雨でやけくそになっているのでしょうか?
それにしてもこの風景は懐かしく、屋台が通る時は看板に気を付けないといけない場所でした。

・現在の様子
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右側のきむらやさんは無くなっていますが、左側の浅田屋さんの建物は残っています。
道幅も少し広くなったので、屋台は通りやすくなりました。
でも、狭くて建物があった方が屋台は大きく見えるんですけどね・・
あと、いつのまにか、道路の文字もカタカナから平仮名に変わっていました。

以上、昭和時代の掛塚まつり(パートⅢ)でした。
今年は贅沢なんて言わないので、雨でもいいから、何とか掛塚祭りを行いたいですね(*^_^*)
2021/05/23 (Sun) 09:13 |掛塚祭り |コメント(2)

掛塚まち歩き

今日はみんなと倶楽部掛塚のメンバーでまち歩きを行いました。
この倶楽部では平成26年に磐田市へ寄贈された旧廻船問屋の津倉邸を起点に町おこしの活動を行っていますが、本日は津倉家子孫のMさん夫妻がご参加くださいました。

私は津倉家の御子息とお会いするのは初めてでしたが、遠く離れていても掛塚を思う熱い気持ちが伝わってきて、とても嬉しく思いました。新たな出会いに感謝するとともに、一緒に町おこしができたらいいなと感じました(*^_^*)

それでは、早速、まち歩きをご紹介していきたいと思います。

・貴船神社
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スタートは貴船神社です。
今日の案内役は福永飛行場の末裔のNさんが担当されましたが、とても分かりやすかったです。

・弁天社の石囲い
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石柱には津倉家の御先祖様の名前が刻まれています。

・明治41年に建立された津倉世扇の彰功碑
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子孫のMさんも感慨深そうにご覧になっていました。

・旧廻船問屋の林家
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掛塚に唯一現存するナマコ壁の土蔵です。
林家は静岡銀行の基礎を築いた平野又十郎の生家として有名です。

・林家の伊豆石の塀
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掛塚に現存する伊豆石で最も美しいとされる林家の石塀です。

・江戸川
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横町にあった御料理・置屋の江戸川の古い写真です。

・現在の様子
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少しリフォームされていますが、当時の面影が残っています。

・江戸川の内部の様子
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まさか内部が見れると思いませんでしたが、関係者のご厚意で見学させて頂きました。
まず目につくのが凝った造りの建具です。これは2階になりますが、当時のまま残っているそうで、新たな掛塚の宝を発見した気分です。

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天井も欄間も素晴らしいです。

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床の間は風格が漂っています。
ちなみに右側の床柱は黒檀だそうです。

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縁側の天井です。職人の腕の良さが伝わってきます。

・旧掛塚郵便局
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最後は掛塚郵便局を見学して終了です。

約2時間半のまち歩きでしたが、新たな発見や出会いがあり、とても楽しかったです。
掛塚にはこの他にも観光資源となる材料は残っていますので、何とかかつての賑わいを少しでも取り戻せたらいいですね。

以上、掛塚まち歩きのご紹介でした。
2021/05/15 (Sat) 20:55 |郷土史 |コメント(3)

端午の節句

本日、5月5日はこどもの日です。
毎年、頑張って兜飾りと鯉のぼりを出していましたが、鯉のぼりは10mのポールを立てることに挫折し、今年は兜だけを出しています。

・息子の五月人形
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徳川家康公のレプリカですね。実際に着用できるタイプで息子が5才の時にこの兜を付けて記念写真を撮りました。

・私の五月人形
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祖父と私です。兜以外の人形が6個も確認できますが、この人形等が蔵の中に押し込まれて収集が付かない状態でした。今は少し整理できましたが、やはり兜だけは捨てられませんね(#^.^#)

ちなみに叔母の雛人形は蔵の中に残っていましたが、父のものは見当たりません。
父曰はく、刀を振り回して遊んだ記憶があり、五月人形はあったそうですが、捨ててしまったんでしょうか?

・私の鯉のぼり
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自分が親になって毎日鯉のぼりの上げ下げを経験し、初めてその苦労が分かりました。
とても大変な作業ですが、鯉のぼりは子供の成長を願う親の気持ちが現れた象徴です。
今年はコロナのせいにしてズルをしましたが、来年は必ず上げようと思いました。

・我が家の庭と蔵
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五月人形を出すには蔵と門を開け、通路を確保する等、準備が必要ですが、庭はご覧のとおり庭木が生い茂った状態です。父はよく自宅前の防災公園の草取りをしていますが、まず、この庭を何とかしてからやってもらいたいものです。(´・_・`)

・我が家の門
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この門と蔵と庭だけは昔のまま残っています。
大したものではありませんが、大切に保存していきたいと思います。

以上、端午の節句の紹介でした。
2021/05/05 (Wed) 09:28 |郷土史 |コメント(2)

昭和時代の掛塚まつり(パートⅡ )

「す組の若大将」こと、AMさんより提供して頂いた写真で、昭和時代の掛塚まつり(パートⅡ )です。

・砂町屋台(明治29年建造)
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この場所は通称、正木屋の交差点です。子供の頃はこの風景が当り前でしたが、背景に映るお蕎麦屋さんの「きむらや」もなくなってしまいました。

この「きむらや」はご覧のように角いっぱいまで建物があるため屋台を曲げるのも一苦労でしたが、今ではすんなり曲げられるようになりました。

写真で注目すべきは道路の側溝の蓋です。
昔、掛塚には天竜川より引いた水路が町中に張り巡らされていたそうで、これもその名残りではないでしょうか?

父が子供の頃は我が家の蔵にも小舟がしまってあり、荷物を運ぶ際に使用していたそうです。この水路が残っていれば貴重な観光資源になったのにと思う今日この頃です。

・同じアングルの現在
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右側に映る電柱を基準に見てみると比較しやすいと思いますが、先の写真に写っている建物は一つも残っていません。水路跡の蓋もなくなっていますね。

・新町屋台(慶応2年建造)
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昭和40年代でしょうか?五久前で150号線渡りを待っている新町屋台です。
掛塚のメイン道路ですが、建物に囲まれた屋台は大きく見えますね。

しかし、魚屋さんである五久さんも残念ながら閉店となり、ここに写っている全ての商店はなくなってしまいました。屋台は変わらないのに、街並みはすっかり変わってしまい、寂しい限りです。

・同じアングルの現在
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駐車場だらけになった現在の風景です。これでは屋台も小さく見えてしまいます。

・田町屋台(昭和27年建造)
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同じく、150号線渡りを待っている田町屋台です。
まだ、彫りも天幕の刺繍もない、建造当初のままの状態ですね。
私が子供の頃はこの状態でしたので、懐かしく感じる1枚です。

・砂町屋台
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神社に向かう砂町屋台です。昔は写真のように見送り幕を捲り上げていましたが、現在は幕を見せるため本来の姿になっています。ただ、笛を吹く人にとっては景色が見えず辛いところですね。

背景には夏目商店(ヤマヤ)の看板が確認できます。現在は駐車場となっていますが、ヤマヤさんは150号線沿いの白羽で営業されており、我が家もお祭りにはお世話になっています。

以上、昭和時代の掛塚まつり(パートⅡ )でした。
2021/05/02 (Sun) 12:41 |掛塚祭り |コメント(0)

プロフィール

南海丸

Author:南海丸
江戸から明治にかけ湊町として栄えた掛塚に在住の50代。
廻船問屋を営んでいた頃の船「南海丸」の名を借りてブログの世界へ出航し、掛塚の魅力を発信していきます。

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