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母の嫁入り

母は浜松市笠井の出身ですが、結婚前は竜洋中学校で国語の先生をやっていたそうです。当時の教え子が掛塚に居るため、今でも母のことを聞かれることがあります。

そんな母も喜寿を過ぎ、健康面が少し心配ですが、近隣の挨拶周りをする嫁入り時の写真があったので少しだけご紹介したいと思います。

・我が家の前で送迎車を降りる母
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家の前に柳の木があったのは記憶にありませんが、情緒がありますね。今も残っていればいいのに残念です。

・嫁入りする母
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背景に桃屋商店さんが確認できます。懐かしいですね。

・我が家へ入る瞬間
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当時は玄関の建具も趣があっていい感じでした。

・ご近所周りの挨拶
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・現在の様子
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・結婚式の様子
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二人とも、今の半分位の体系です(=∀=) 時の流れには抗えませんね。

・昭和56年に取り壊された我が家
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私が小学3年の時に建て替えたので、この家はよく覚えていますが、廻船問屋を営んでいた頃のままの屋敷でした。
今なら建て替えに断固反対ですが、当時は家が新しくなることにが単純に嬉しく、歴史的な価値は一切分かりませんでした。とても残念で悔やまれます。
いつか、同じ間取りで復元しようかな・・・と真剣に考える今日この頃です。

写真を勝手に掲載して両親に怒られそうですが、以上、母の嫁入りでした。
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2021/06/27 (Sun) 11:52 |郷土史 |コメント(0)

昭和時代の掛塚まつり(パートⅤ )

「す組の若大将」こと、AMさんより提供して頂いた写真で、昭和時代の掛塚まつり(パートⅤ )です。

・中町屋台(明治39年建造)
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まだ破風の金箔が1段目のみですね。昭和40年頃だと思いますが、この写真は破風の丸味がよく表れており、他町との形の違いが分かりやすいです。
場所は不明ですが、背景の民家も古めかしい感じがします。

・砂町屋台(明治29年建造)
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この場所は津倉邸前ですね。坂の上に見えるのは砂町の旧公会堂で、私が子供の頃はここでお囃子の練習を行っていました。この建物は今も現存し、廃品回収の保管場所として活用されています。

この写真で注目すべきは履物で、大人も子供もみんな雪駄を履いています。今は足袋が主流ですが、昭和42年当時は雪駄だったようです。

・連なる各町の屋台
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左側のレンガ塀の奥に「たばこ」の看板が確認できますが、場所はどこでしょう?
人が通るのもやっとの雰囲気がお祭りらしくていいですね。

・貴船神社の砂町屋台
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神社に整列した屋台の前で皆さん誇らしげな顔をしています。これは今も昔も変わらない風景です。

・貴船神社に引き入れた各町屋台
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一番左側の屋台が半分切れていますが、天幕の図柄から蟹町の屋台ですね。
まだ、漆塗装前の白木の状態であることが確認できます。
蟹町屋台の塗装は、昭和27年なので、それ以前の写真になりますね。

・本町屋台の見送り幕
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この写真は絵葉書になっています。
本町屋台の見送り幕は、蓮の繊維で編んだ大変貴重なものですが、経年劣化により現在は別の幕を使用しています。
いつか復元新調されることを期待しているのは私だけでしょうか?

以上、昭和時代の掛塚まつり(パートⅤ )でした。
2021/06/19 (Sat) 08:54 |掛塚祭り |コメント(0)

人物史 事業人物社編纂(パートⅡ)

以前、「人物史 事業人物社編纂」に掲載されていた天龍木材等、浜松を中心とした会社の紹介をさせていただきましたが、そのパートⅡです。

掛塚とは直接関係はないかもしれませんが、レトロな建物が写っており、どこか懐かしい感じがするので主だったものをご紹介していきます。

・濱松合同運送株式会社旭町荷扱所
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看板のEEは何の略でしょう?蔵と看板がいい感じにレトロ感を出していますね。

・濱松委託株式会社運送部
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今なら過積載で捕まってしまうくらいトラックに荷物が積まれています。
中身は何でしょう?とても気になります。

・永徳屋商店
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何の会社かよく分かりませんが、暖簾がレトロでいい感じです。普通の民家っぽいですが株式会社なんですね。

・濱松銀行本店
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・遠州銀行本店
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昭和3年の建造で、当時の遠州地方で最大の銀行だったそうです。
浜松大空襲で当たり一面が焼け野原になるも焼失をまぬがれ、「静岡銀行浜松営業部」として現在も使用されています。

・静岡銀行浜松営業部(旧遠州銀行本店)
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現在の様子です。アングルが違い見にくいですが、当時のまま残っていることがわかります。

・遠州電気鐡道株式会社
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上部の看板に二俣・笠井・宮口・中ノ町の文字が確認できます。浜松市旭町というと、今の新浜松駅でしょうか?

・濱松鉄道株式会社
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同じ鐡道会社ですが、先ほどの遠州電気鐡道株式会社と比べるとレトロな感じです。写真右側の小屋みないなものは電話室でしょうか?

・名古屋鐡道局濱松工場
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これは現在、南伊場にある東海旅客鉄道浜松工場でしょうか?鉄道のことはよく分かりませんが、当時の電車を見てみたくなりました。

・磐田郡掛塚町 松下定七
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本の最後には出資者と思われる方の一覧が乗っており、掛塚町では松下定七氏が掲載されていました。

パートⅠでは他の3名を紹介していますが、掛塚は廻船業が衰退した後も天竜川上流で取れる木材で商売をしており、我が家も材木会社の経営に携わっていました。
旧廻船問屋は山林も所有しており、輸送の手段が船から鉄道に変わったものの、しばらくは商売も軌道にのっていたようです。パートⅠはこちらをご覧ください。

・山林売買契約書
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かつては我が家も山を2、3持っていたようですが、今はきれいさっぱり売り払って何一つ残っていません。もちろん、売った時のお金も残っていません。(T_T)

ちなみに松下定七氏は、旧廻船問屋、松下文次郎の新屋に当たる、上の松下のご先祖様かと思われます。松下家については、以前ご紹介したこちらをご覧ください。

以上、人物史 事業人物社編纂パートⅡでした。
2021/06/12 (Sat) 16:31 |郷土史 |コメント(0)

昭和時代の掛塚まつり(パートⅣ )

「す組の若大将」こと、AMさんより提供して頂いた写真で、昭和時代の掛塚まつり(パートⅣ)です。今日は曳舞台にスポットを当てて紹介していきたいと思います。

・砂町本舞台(明治29年建造)
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昭和43年の日付があります。
駒寄に腰掛ける子供達が印象的な写真ですが、今これをやっら大人にドジカラれるパターンですね。真っ白なサラシが一瞬で汚れるし、組子の金箔が剝がれそうで心配です。

・砂町曳舞台に乗る子供達
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基本的に掛塚は、各町に本舞台と曳舞台の2台の屋台があり、かつて本舞台は男子、曳舞台は女子が乗るよう決められていたようです。この写真をみると、確かに女子が多く乗っていますね。

・砂町本舞台
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やはり本舞台に乗っているのは男子のみですね。父の妹は80才位になると思いますが、過去に話を聞いたところ、子供の頃は曳舞台にしか乗せてもらえなかったとのことです。

・す組の本舞台と曳舞台
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昭和41年の日付があり、本舞台の後を曳舞台が随行しているのを確認できます。
現在、曳舞台は全く運行しておらず、蔵に眠ったままで管理がなされていない状況です。シロアリの被害もあり心配ですが、このまま朽ち果てていくのを指をくわえて見ているわけにはいきません。何とか活用方法を見出していきたいですね。

.砂町曳舞台(昭和9年建造)
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今は解体され、蔵に眠ったままですが、数年前に一度だけ組んだ時の写真です。

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僅か50件余りの自治会で本舞台と曳舞台の2台の屋台を運行するのは難しく、蔵に眠ったままの現状も仕方ありませんが、お祭り以外の時に曳舞台を有効活用できないでしょうか?
いつか日の目を見る時が来るのを待つだけでなく、何かしら行動を起こしていきたいと思っています。

以上、昭和時代の掛塚まつり(パートⅣ)でした。
2021/06/05 (Sat) 10:17 |掛塚祭り |コメント(0)

プロフィール

南海丸

Author:南海丸
江戸から明治にかけ湊町として栄えた掛塚に在住の50代。
廻船問屋を営んでいた頃の船「南海丸」の名を借りてブログの世界へ出航し、掛塚の魅力を発信していきます。

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