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火消しの刺子半纏

冬本番に突入し、いよいよ火災シーズンとなりました。

以前にもご紹介しましたが、火の用心の意味も兼ねて、今年最後のブログ更新は、掛塚の刺子半纏をご紹介して締めたいと思います。

この半纏は私が消防に入ったお祝いに津倉家から頂いたもので、我家の家宝となっています。明治時代に津倉貞三氏が使用していたものだそうです。

1 頭巾
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何やら文字が色々と書いてありますが、私には全く意味が分かりません (-_-;)

2 刺子半纏(前)
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左胸には「す組」の文字が確認できます。

3 刺子半纏(後)
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歌舞伎の図柄でしょうか?

4 手袋・テコ・足袋
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状態は非常に良く新品みたいです(100年以上前のものですが・・・)

5 感謝状(明治35年)
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明治32年に掛塚・白羽で火災があったみたいですね。
我家は、この当時は廻船問屋を営んでいて、寄付できるほど財力があったようですが、今は見る影もありません。まさに栄枯盛衰ですね(-_-;)

6 感謝状(大正2年)
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明治44年にも掛塚で火災があったようです。

以上、我家に残る明治時代の消防関係の資料でした。
来年の津倉邸公開時には「掛塚消防展」を企画できればと考えていますので、その際に刺子半纏を展示したいと思います。

それでは皆様、火の元には十分注意し、良いお年をお迎えください。
~ 火の用心! ~
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2022/12/27 (Tue) 00:00 |郷土史 |コメント(0)

プロフィール

南海丸

Author:南海丸
江戸から明治にかけ湊町として栄えた掛塚に在住の50代。
廻船問屋を営んでいた頃の船「南海丸」の名を借りてブログの世界へ出航し、掛塚の魅力を発信していきます。

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