碇を降ろして・・・
FC2ブログで「南海丸の航海日誌」を始めて1年になります。
超アナログ人間の私は、操作方法もよく分からないうえに、文章力もなく、ブログには不向きなタイプですが、遠州の小江戸と言われた掛塚の魅力を少しでも伝えたい一心でここまでやってきました。
しかし、古い写真もネタが尽きてきた他、仕事も忙しくなってきましたので、南海丸は碇を降ろし、しばらく停泊することにします。
という訳で・・・最後は、威勢よく掛塚湊を行き交った千石船の碇をご紹介して幕を下ろしたいと思います。
・掛塚湊 帆船の碇(高安研太郎氏蔵)

これは「ふるさと竜洋」に掲載されている写真です。どの船のものかは不明ですが、碇は大人の身長を超えるほどであり、千石船の大きさが推測できますね。
・磐田市歴史資料館に保管されている碇
歴史資料館の敷地内の片隅に碇が4つ保管されています。保管というより、雨ざらし状態の放置といった方が適切かもしれませんが、一番大きなものは、最初の写真で紹介した高安研太郎氏蔵のものだと思われます。
掛塚廻船問屋の末裔としては、もう少し大切に保管して頂きたいのが本音です。
・津倉家で保管している碇
この碇は津倉家のものではありませんが、みんなと倶楽部掛塚のメンバーが頂いてきて、一時的に保管してあります。歴史的に貴重な資料なので、これ以上錆びないよう、屋内で保管できればと思います。
掛塚湊は江戸から明治にかけ繁栄しましたが、明治22年に開通した東海道線の影響を受け徐々に衰退し、大正期には湊としての機能をほぼ失っていたと言われています。
あれから100年以上の月日が流れていますが、碇が発見されると当時の繁栄ぶりが垣間見え、掛塚湊の栄枯盛衰を感じます。
・貴船神社に奉納された絵と模型
残念ながら南海丸の写真や絵は現存していませんが、多分このような船であったと思います。今となっては知る由もありませんが、掛塚湊の歴史は後世に受け継いでいかなければなりません。
・掛塚湊跡
コロナが終息し、仕事も落ち着いたら、またいつか掛塚湊からブログの世界に出航しようと思います。これまでご愛読いただき、誠にありがとうございました。
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コメント
いきなり 連載休載って びっくりしたけど
続けるって 言うほど 簡単じゃないし
大変なんだよね~
気持ちと 行動と 考えは、 おいらも やってきたから わかるから
ちぃっっと 碇を おろして また 機会があれば 復活してね
どうにかこうにか続けてきたけど、そろそろ潮時かな?
またいつか出航の時に備えて、しばらく休養します(^^)/
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