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昭和時代の掛塚まつり(パートⅦ)

す組の若大将ことAMさんより提供して頂いた写真で、昭和時代の掛塚まつり(パーⅦ)です。

・宮入前の、す組屋台
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それほど古い写真ではありませんが、今は商工会議所や小林薬局等、ほとんどの建物がなくなってしましました。

・とんや前の、す組屋台
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この写真で注目して頂きたいのは、屋台後面の引出しです。よく見ると3段×3で9個の引出しがあります。これは砂町特有の形でしたが、平成12年の大改修で現在の2段6個の引出しになりました。
細かな点ですが、個人的には忠実に復元新調してもらいたかったです。

・五久商店前の、す組屋台
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よく見ると、屋台の側面に吊るしてある提灯は天幕に掛かっています。
現在は、天幕を見せるため、もう少し提灯の位置を上にしています。いつから位置を変えたかは不明です。

これにて、す組の若大将ことAMさんより提供して頂いた写真は全てご紹介したので、このシリーズは終了となります。
AMさん、ありがとうございました。


以上、昭和時代の掛塚まつり(パーⅦ)でした。
2021/07/25 (Sun) 08:54 |掛塚祭り |コメント(0)

遠州掛塚湊の廻船問屋

掛塚湊の起源は古く、既に室町時代半ばの文献には登場しています。
都での建設需要の増加に伴い、北遠の山間部で切り出された材木は天竜川を下り、掛塚湊から江戸や大阪へ千石船で輸送され、特に江戸から明治時代にかけて繁栄しました。

しかし、掛塚湊は、もともと気まぐれに変わる天竜川の流れ次第で場所を移した不安定な湊であり、何より遠浅で砂も堆積しやすく、湊としては悪条件でした。

そこで、廻船業らは近代化を目指し、明治16年に築港に着手。2年掛かりで東西430m、南北215mの湊を、現在の「しおさい竜洋」南東側に造りましたが、元来の悪条件に追い打ちを掛けるように、明治22年には東海道線が開通し輸送の主流は鉄道に移り、掛塚港は衰退の一途をたどりました。

我家もブログのタイトルに使用している「南海丸」という船を所有し、廻船問屋を営んでいましたが、全くといっていいほど、当時の資料は残っていません。

そこで、今日は磐田市歴史資料館に所蔵されている貴重な廻船問屋の資料をご紹介していきたいと思います。

・船の舵輪
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西洋型帆船「宝慶丸」(総トン数140トン、松下定七所有)に付いていたもの。

・千石船のランプ
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中屋(松下文次郎)の所有船のもの。

・航海日誌用版木
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これは、どの船で使用されていたか不明です。

残念ながら我家には、ほとんど資料は残っていませんが、何とか探してみると・・
少しだけ残っていました。

・送状
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送り状は、北遠の材木問屋からの納品書兼請求書です。
真ん中の左上に「南海丸」の文字が確認できます。

・難破船舩入費取調書
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これは、以前にもアップした画像ですが、名倉先生に依頼し、解読して頂きました。
難破船舩入費取調書
静岡県下 遠江国長上郡掛塚村 清安丸 池田藤七船 と書いてあるそうです。
つまり、我家の清安丸という船が難破し、費用を請求されているものですね(T_T)

・欅の箱
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何を入れていた箱か不明ですが、形状が特殊です。材質が欅のため、かなり重たい箱です。

・焼印
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我家の印はカクヤマで、積荷にはこの焼印を入れていたと思われます。

・北洋丸(写真表)
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・北洋丸(写真裏)
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大正3年10月 於露領沿海 インピラストル?港積木光景
インクが滲んで、正確に読み取れませんが、ロシア領に北洋丸が入港し材木を積んだものだと思われます。なぜ我家にこの写真が残っていたのか、掛塚とどんな繋がりがあったのか、大変気になりますが、詳細は不明です。

以上、遠州掛塚湊の廻船問屋のご紹介でした。廻船問屋の詳細は過去のブログをご参照ください。

2021/07/17 (Sat) 00:00 |郷土史 |コメント(0)

昭和時代の掛塚まつり(パートⅥ)

す組の若大将ことAMさんより提供して頂いた写真で、昭和時代の掛塚まつり(パートⅥ)です。

・す組の宮入り
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背景に旧掛塚町の役場が確認できます。レトロ感があって屋台とマッチしてますね。
それに、手作り感がある「祝・掛塚まつり」の看板もいい感じです。

・す組の宮出し
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昭和48年の日付が確認できます。
右側に映る風船は今では見なくなりましたが、子供の頃はこれが欲しくてたまりませんでした。風船に巻いたハチマキが妙にそそられます。
いつか掛塚納涼祭で復活させて、販売したら売れるんじゃないでしょうか?

・す組(砂町)屋台の正面
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砂町屋台の懸魚の彫りは蛇化美女です。波が横ではなく、前に向かってくる彫りは繊細であり、我が町の自慢の一つです。明治30年代に本町屋台の棟梁であもる不易堂三光が彫ったものと思われます。

・す組(砂町)屋台の後面
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見送り幕は明治時代の物ですね。詳細は以前ご紹介したこちらをご確認ください。

・す組の手踊り
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今では絶えてしまい、どんな踊りだったのか全く不明です。
こうした踊りがあると皆で楽しめそうで、よかったんですが非常に残念です。

以上、昭和時代の掛塚まつり(パートⅤ)でした。
2021/07/11 (Sun) 18:00 |掛塚祭り |コメント(0)

蟹町屋台の天幕

蟹町の屋台は大正9年に掛塚の名工、坂田歌吉により建造され、明治39年建造の中町の屋台とは兄弟分になります。

天幕は明治13年に東京伊勢丹より200円で購入。廻船問屋の船頭である田町の江原甚蔵に託し、運ばれたとの記録が残っています。

図柄は北斎漫画から引用したものであり、この点についても中町屋台と同一ですが、夫々の屋台に個性や特徴があり、見物人の目を楽しませてくれます。

中町屋台の天幕の下絵は旧廻船問屋の林家が所蔵していますが、蟹町天幕の下絵は不明なため、図書館から本を借りて調べてみました。

早速、原図と天幕を比べてみると・・

・北斎漫画
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原図に波はありませんが、天幕では波の刺繍が細かく施されていて、いい感じです。
竿の角度や河豚の位置も原図と微妙に異なりますが、天幕用に仕立てたのでしょうか?

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二股大根は女性の足を表しており、ユーモアがあって面白いですね。

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やじろべえは原図に確認できませんが、どこからやってきたのでしょう?
原図で布袋様は盃を持っていますが、天幕では相撲の軍配のような物をもっており、その上にやじろべえがチョコンと乗っかっています。
このやじろべえも味があって面白いですね。

蟹町屋台の天幕をみていると、ユーモアがあって観るものを飽きさせません。
「笑う門には福来る」の言葉に相応しい素晴らしい天幕です。

現状、コロナ終息の目途は立っていませんが、今年は神社に勢ぞろいした9町全ての天幕をみたいですね。
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以上、掛塚を代表する天幕の一つと言っても過言ではない蟹町天幕のご紹介でした。

2021/07/03 (Sat) 10:16 |掛塚祭り |コメント(0)

母の嫁入り

母は浜松市笠井の出身ですが、結婚前は竜洋中学校で国語の先生をやっていたそうです。当時の教え子が掛塚に居るため、今でも母のことを聞かれることがあります。

そんな母も喜寿を過ぎ、健康面が少し心配ですが、近隣の挨拶周りをする嫁入り時の写真があったので少しだけご紹介したいと思います。

・我が家の前で送迎車を降りる母
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家の前に柳の木があったのは記憶にありませんが、情緒がありますね。今も残っていればいいのに残念です。

・嫁入りする母
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背景に桃屋商店さんが確認できます。懐かしいですね。

・我が家へ入る瞬間
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当時は玄関の建具も趣があっていい感じでした。

・ご近所周りの挨拶
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・現在の様子
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・結婚式の様子
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二人とも、今の半分位の体系です(=∀=) 時の流れには抗えませんね。

・昭和56年に取り壊された我が家
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私が小学3年の時に建て替えたので、この家はよく覚えていますが、廻船問屋を営んでいた頃のままの屋敷でした。
今なら建て替えに断固反対ですが、当時は家が新しくなることにが単純に嬉しく、歴史的な価値は一切分かりませんでした。とても残念で悔やまれます。
いつか、同じ間取りで復元しようかな・・・と真剣に考える今日この頃です。

写真を勝手に掲載して両親に怒られそうですが、以上、母の嫁入りでした。
2021/06/27 (Sun) 11:52 |郷土史 |コメント(0)

プロフィール

南海丸

Author:南海丸
江戸から明治にかけ湊町として栄えた掛塚に在住の50代。
廻船問屋を営んでいた頃の船「南海丸」の名を借りてブログの世界へ出航し、掛塚の魅力を発信していきます。

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